香港のドローン事情と九龍城

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香港のドローン事情と九龍城

ビクトリアハーバーで毎夜20時から開催されている光と音楽のショー「シンフォニー・オブ・ライツ」に、2024年5月からイベント等の特別な日に合わせて、花火やドローンショーの演出が加わりました。初回は5月1日(水)のメーデー(労働節)の祝日に合わせて、さっそく花火のショーが開催されました。当日は連休初日とあって観光客も多かったのですが、あいにくの天候で夜景も花火もあまりはっきりと見えなかったのが残念でした。そして5月11日(土)には長州島の饅頭節をメインテーマとしたドローンショーが行われました。使用されたドローンは約1000機以上で、こちらは花火よりも緻密でカラフルなデザインが次々と夜空に浮かび上がりました。観客からの反響も非常によく、10分程度のショーでは物足りないという声も上がったようです。引き続き今後の開催がとても期待されています。次回6月10日(月)は、端午節とドラゴンボートレースがテーマとなる予定です。

香港で花火といえばこれまで返還記念日、国慶節、新年、旧正月など、お祝いのイベントに合わせて盛大に行われていました。ドローンは、今回に先立って1月28日の春節にもショーが行われていました。近年こういったドローンショーは、中国本土のイベントにおいても頻繁に行われるようになってきており、各地方の観光地で開催される観光客向けイベントの一環としてドローンショーが多く取り入れられています。

このように近年ドローンはますます身近になり、一般市民にも手軽に扱えるようになりました。香港では2022年6月1日よりドローン法(小型無人航空機令、SUA令)によりドローンの扱いが規制されています。もし250g以上のドローンを飛ばすなら、民間航空局(民航處/Civil Aviation Department)への登録が必要です。香港のドローンは重量により3つに分類されており、それぞれのカテゴリーで必要要件が異なります。

  • <カテゴリーA1>

250g未満・・特別な登録は不要、ただし高度制限は100ft(30m)、速度制限は2㎞/hです。

  • <カテゴリーA2>

250g~7㎏・・Webシステム(eSUA)で登録が必要、登録後ステッカーを機体に貼ります。

高度制限は300ft(90m)、リモートパイロットの登録も必要です。

  • <カテゴリーB >

7㎏以上・・リモートパイロットのトレーニングが必要、必要操作の前にCADから許可が必要、ドローン保険への加入が必要です。

ドローン法には細かいルールが定められており、例えば「ドローンの飛行は気象が良い中での日中のみ」と決められています。そして大都会の香港で必ず把握しておくべきなのが飛行禁止区域です。

禁止区域

・香港国際空港から5㎞圏内エリア

・北ランタオ島の沿岸地域

・大欖涌から荃湾、青衣島までの沿岸地域

・ビクトリアハーバー及びその沿岸地域

また、上記エリアに限らず人口密度が高く混雑した場所や、万が一衝突して破損させた場合に安全が損なわれる設備があるエリアの上空とその付近、香港ディズニーランドを含む竹篙灣(ぺニーズベイ)の指定区域では飛行が禁止されています。最新の禁止区域はウェブ上で随時確認できるようになっています。

ドローンを登録するには18歳以上の個人、団体、法人・非法人である必要があり、未成年の場合は保護者が登録することも可能です。登録料は2022年6月1日より3年間は無料のため2024年5月現在も無料です。香港在住の日本人はもちろん、日本から旅行で香港を訪れる観光客でも登録は可能です。夜景に、自然に、ビル群の摩天楼など、魅力的な景色がたくさん詰まった香港は、ドローンでの撮影にぴったりでしょう。

さて、香港で現在とても人気のある最新映画「九龍城寨之圍城 Twilight of the Warriors,Walled In」をご紹介します。鄭保瑞監督の最新作で、小説と漫画の原作から映画化され豪華俳優陣が名を連ねています。今は取り壊されましたが、香港に実在した無法地帯である九龍城砦(正式名称:九龍寨城)が舞台となっていて、映像技術で再現された九龍城砦の内部がリアルだと話題になっています。九龍城砦は巨大スラムの一方で、被写体として多くの芸術家を魅了し、取り壊された今も当時の写真や映像作品は貴重な記録として残されています。

九龍寨城は複雑な歴史的背景によって巨大スラムになりました。宋の時代、香港周辺に出没する海賊に対処するため軍事要塞が造られたのが始まりです。1898年にイギリスが清朝から新界などを租借した際に、この軍事要塞は租借条約から除外され、清朝の飛び地となりました。清朝の役人が常駐していたところ、お祝いで鳴らした爆竹がイギリスの軍事活動を妨げたと見なされ、役人は追放されます。しかしイギリスが管理することも条約違反となるため放置され、大陸では内戦により清朝が終わりますが、1912年に樹立した中華民国によっても要塞の管理はされませんでした。さらに日本による占領時代には、空港の拡張工事のため城壁が取り壊されました。再度香港がイギリスの植民地になった頃には、国共内戦で大陸からの難民が押し寄せ人口密度の高い巨大なスラムへ化しました。返還前に香港政府は九龍寨城の取り壊しを決定し、現在その跡地は資料館を有した公園に整備され市民の憩いの場となっています。