香港競馬の祭典:国際レースの詳細と歴史

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香港競馬の祭典:国際レースの詳細と歴史

2024年も残すところあと少し、クリスマスを過ぎたら2025年の幕開けです。旧正月を祝う香港でも1月1日の元旦は祝日です。「ニューイヤー・カウントダウン・セレブレーション」と称して、ビクトリアハーバーでは12月31日の23時00分、15分、30分、45分に小規模な花火が上がり、新年を迎えた0時になると12分間の自然をテーマにした大規模な花火が上がります。香港島や九龍サイドの鑑賞スポットに行ってカウントダウンの雰囲気を味わうのも良いですし、香港政府観光局の公式FacebookやYoutubeで生中継もありますので、人混みを気にせず自宅で花火を鑑賞することもできます。

さて12月8日(日)、香港の沙田競馬場で香港国際競走「ロンジン香港インターナショナルレース(浪琴香港國際賽事/ LONGINES Hong Kong International Races)2024」が開催されました。このレースは競馬界の最高格付けであるG1レースで、日本など海外からも競争馬や騎手が出場することで開催前から注目されていました。次の4つの国際G1レースが同日に行われ、出走馬は合計53頭、そのうち日本からは9頭の馬が出走しました。

・第4レース:香港ヴァーズ(G1、芝2400m)、

・第5レース:香港スプリント(G1、芝1200m)

・第7レース:香港マイル(G1、芝1600m)

・第8レース:香港カップ(G1、芝2000m)

メインレースの香港カップでは香港馬ロマンチックウォリアーの圧勝で3連覇を果たしました。日本からの出走馬はG1未勝利という結果でしたが、期待されていたリバティアイランドが2着に、タスティエーラが3着に入りました。

香港はコロナ禍で落ち込んだ観光客の誘致の一つとして、競馬にも力を入れています。香港ジョッキークラブ(HKJC)も今回のレースには特に力を入れツアー客を誘致するなどし、レース当日に沙田競馬場を訪れた約7万人のうち、約1万人が観光客だったということです。今後も海外からの観光客を呼び寄せるため整備して行くということです。

香港の競馬の歴史はイギリスの植民地時代に遡ります。最初にできたのが1846年のハッピーバレー競馬場、1884年には競馬の統括機関である香港ジョッキークラブが設立しました。1978年には沙田競馬場も開設されました。それまで沙田競技場で馬の調教が行われていましたが、2018年に広州市従化区に従化競馬場(香港賽馬会従化馬場/The Hong Kong Jockey Club Conghua Racecourse) が開設され、両方で管理されるようになりました。馬はレース数日前に従化競馬場から沙田競馬場付属の厩舎に片道約3時間の道のりを輸送されます。ハッピーバレー競馬場でのレースなら、馬は沙田の厩舎から当日輸送されます。レースの開催時期は香港が最も暑い時期を避け、9月~翌7月中旬が1シーズンになっています。基本的に毎週水曜がナイトレース、土日のいずれか1日は昼間に開催されます。

香港で競馬は合法とされています。イギリス植民地時代に発展したこともあり、競馬は貴族の遊びという側面も持ち合わせており、富裕層の社交の場でもあったため今もジョッキークラブは会員制です。香港ジョッキークラブの会員になるには(馬主になるには)まず複数の会員からの推薦が必要で、さらに厳正な資格審査を経る必要があります。馬主になって馬1頭を所有することもできますが、複数人で1頭を保有することもできます。

香港の競馬場はいずれもアクセスしやすく、入場料を払えば必ずしも馬券を購入する必要は無いので、競馬ファンでなくとも観光がてら一度足を運んでみるときっと新しい発見があるでしょう。欧米のようなスーツやドレスを着用する必要がありませんが、場内にある会員向けレストランやバーを利用するならスマートカジュアルな格好が適しています。非会員エリアの方は比較的カジュアルな格好をした人が多くビールを片手にレース観戦することができます。

香港では合法の賭博によって得た収益に対し、賭博税が課税されます。競馬が72.5~75%、いわゆる宝くじの六合彩(マーク6)が25%、サッカーくじが50%となっています。これらはすべて香港ジョッキークラブが運営しています。香港政府が力を入れるように、競馬の盛り上がりは観光客にエンターテイメントの提供と同時に政府の税収も見込めます。

ポルトガル領であったマカオにも早くから競馬はありました。1637年には競馬が開催されていたという記述が残されています。しかしマカオジョッキークラブ統括のタイパ競馬場は、1980年に開設され中断と再開を繰り返しながら最終的に2024年4月をもって廃止されました。香港とマカオでは少し事情が違うようです。マカオのカジノはそれまでカジノ王と呼ばれたスタンレー・ホー氏によって独占的な経営がされていました。かつてカジノは主にマカオ市民の楽しみでもあり、その中に混じって観光客が楽しむものでした。しかしマカオが中国へ返還された後、マカオの経営権が外資に解放されると瞬く間に外資企業によって巨大カジノが建設され、中国大陸や世界中から観光客が押し寄せるようになり、カジノの盛り上がりの陰で競馬やドッグレースは衰退し、ついには両方とも廃止されてしまいました。時代の変化に寂しさはありますが、カジノはマカオ、競馬は香港で共に発展するのが合理的なのでしょう。