5月28日時点で香港新型コロナウィルスの感染者数は1067人、すでに退院した人数は1035人、現在も入院中の人は28人となっています。新規の感染者がちらほら出てきていますが、いずれも海外から帰国した人ということで香港内での市中感染はみられませんでした。
さて、振り返れば昨年6月から香港で始まった反政府デモからもうすぐ1年になります。そして今年5月28日、中国の全国人民代表大会は香港で反政府的な活動を取り締まる「国家安全法」の導入を決定しました。ここ1週間ほど香港では連日のように反対を訴える市民による抗議活動が活発に行われ、警察はこれらを違法な集会として数百名を逮捕しました。この件を巡っては香港のみならず国際社会も関心を寄せており「一国二制度が崩壊するのではないか」と懸念されていますが、中国側は「一国二制度は基本となる政策で、今回の決定で香港の長期的な繁栄を守っていけるだろう」と説明しています。香港返還後23年目にして導入される「国家安全法」で、今後は中国政府が香港の安全維持のための法律を制定、必要があれば中国から香港に出先機関を設けて治安維持の活動を行うことができるようになります。
また、中国国歌の侮辱を禁じる「国歌条例案」の香港立法会での審議が5月27日から再開されました。これに関しても立法会の周辺で市民らが抗議デモを行い、警官隊は約300人を違法集会の疑いで逮捕しました。香港では以前よりサッカーの国際試合などで中国の国歌が流れると観客席からブーイングが飛ぶなど、国歌を侮辱する行為が問題視されていました。
その一方、デモで香港が混乱続きの中マカオのカジノ業界を代表する実業家のスタンレー・ホー氏(何鴻燊/Stanley Ho)が5月26日に98歳で死去しました。香港生まれのホー氏は、1961年からマカオのカジノ運営の独占ライセンスを獲得し、2001年までの40年間「マカオのカジノ王」と呼ばれ巨万の富を築き上げ業界を支配しました。マカオを象徴するホテル・リスボアを建設したのも、香港―マカオ間を繋ぐターボジェットやヘリコプターの路線を整備したのも、マカオをラスベガスをも凌ぐカジノの街に育てたのも、他ならぬホー氏です。マカオに20のカジノを展開するアジアを代表する大富豪でした。マカオの外にも事業を広げ、香港に住宅・オフィス用ビルを建設したほか、ポルトガルでカジノのライセンスを取得し、北朝鮮、ベトナム、フィリピンなどへの投資も活発に行なっていました。プライベートでは4人の女性との間に17人の子どもがおり、その莫大な資産の相続にも注目されています。
ホー氏は裕福な家庭に生まれたものの父親の投資が失敗したことから貧しい環境で育ちました。お金がないことの惨めさを味わったことから金持ちになろうと奮起するようになります。香港が日本の占領下となってホー氏は再び財産を失うと香港からマカオへ渡り、やがてカジノ王として頭角を現し、現在のようなカジノ王に君臨しました。その映画のような波乱万丈の人生は、かつて映画にもなりました。1992年公開の「カジノタイクーン」(賭城大享之新哥傅奇/CASINO TYCOON)です。ホー氏の半生を描いた作品で、ドキュメンタリーではなく娯楽映画なのですが、ホー氏のサクセスストーリーを知る上では非常に見応えのある作品です。
スタンレー・ホー氏のおよそ一世紀に及ぶ生涯は、香港やマカオの歴史とも深く関わっています。第二次世界大戦中の1941年12月から日本軍が香港を占領したことによりホー氏はマカオに逃れます。日本軍によって香港市民は財産を奪われ、軍票の乱発によりインフレが起きるなど経済的に大変混乱した時期でした。
植民地としての長い歴史をもつ香港だからこそ、ホー氏だけでなく香港人はお金に対する考え方も独特です。「香港ドル」が将来も使えるとは限らないので、なるべくお金以外の形に変えようとします。日本と違い老若男女ほとんどの香港人が個人投資をしていますし、街中で金(ゴールド)の販売店をよく見かけることからも分かるように、ゴールドはいつの時代も普遍的な価値があり、いつか紙屑となる可能性のある現金よりもゴールドに変えて所持する方が安心と考えられています。また、身体の健康のための食事や、子どもの教育にお金を惜しまないところも、言い換えれば未来への投資となります。さらに香港の不動産が天井知らずという好条件から、不動産を購入することも資産を増やすことに繋がります。例えば自宅用のマンションをローンで購入して自分と家族が住んでいるだけなら日本ではあまり「投資」とは言いませんが、不動産価格が上がり続ける香港では購入後も「負動産」になる心配はなく、いざと言う時に不動産を売却して現金を得ることができる安心感があります。
今回の「国家安全法」はまたひとつ、香港の歴史の節目となるでしょう。香港経済や市民生活への具体的な影響は明らかになっていませんが、これからの香港がどう変わりゆくのか、私たちも共に関わりながら見届けることになりそうです。